さて、前回の前編では想定外のご好評と相成りました...
【まとめ】82年組アイドル・春・色とりどり【永久保存版】 |
中編となる今回は、花の82年組というククリの中で「その他大勢」というトコロに属される方々をご紹介していこうと思うのでありまする。単刀直入式に申し上げてしまえば…コレラの方々というのは水面下(101-200位)どころか、更にその下のヨドみ部分に沈殿?いえいえ…前回も散々パラ言及いたしましたが、自身の名前、顔、そしてお声の入ったレコード盤を、あの凄まじかったアイドル戦国時代の真っ只中に放たれた!こういう事実だけでもスバラシイことではないですか、それこそ賞賛に値するというものでゴザイマスよ。なんせこの「その他大勢」組には、ワタクシメのダイスキな方々がゾロリンコンというトコロでゴザイマシて。
それでは早速イキましょか…とヤケに短い導入部。だってネ、今回は人数がスゴイからさっさとイカないと【まとめ】られませんのヨ。(笑)
【つぶやきメモ】
デビュー曲「アンドロメダの異星人」
テイチクレコード
82年(詳細日不明)
宇宙と交信可能なエスパーアイドルがニッポン歌謡界へ殴りこみ!って…それだけの能力があるならばソチラ方面でご活躍されていた方が?といった懸念も。ポップス?演歌?セクシー歌謡?その判断がとてつもなくムズカシイ、自称ミラクル歌謡の女王さま&和製シンディー・ローパー。ラインナップとして「クスグルジョーのサンバ」「焼き鳥サンバ」など、女王さまはやけにサンバものがおスキなご様子。VAPに移籍した頃にリリースした「うそっぱち」では深夜の時間帯だが告知スポットが打たれたことも。発売したシングルB面の多くで「四次元酒場」が使いまわし…コレは一体。ところで四次元酒場ってなんなの?(笑) |
デビュー曲「恋はティニィ・ウィニィ」
ポリドール
82年5月1日
歌手デビュー前はスクールメイツの一員として、またテレビドラマ「俺んちものがたり」「ただいま放課後」、バラエティ「たのきん全力投球」でも活躍し人気者に。デビュー曲では得意のダンスをちりばめ、傘を片手の大暴れ。脇には二匹の着ぐるみを従えるなど、割と銭はかけられていたのか?とおぼしき展開がチラリンコンと見え隠れする久美プロジェクト。実はこのブログにもよく出没してくださる元スクールメイツ(元ストロベリー)、SAYUMINの先輩にあたるお方なの。 |
デビュー曲「シュガーぬきのSaturday Night」
CBSソニー
82年8月25日
和製コニー・フランシスとして、ド迫力の歌声とオールディーズのりチューンをひっさげデビュー。テレビ番組「アップルシティ500」ではパーソナリティーも務め、司会もこなせる器用なトコロも見せつけた。シングルでは「放課後ロック」「ダイナイマイトチャンス」など佳曲揃い。83年発売の勝負曲「熱風半球」は東亜国内航空のキャンペーンソング、後発でラストシングルになった「STAY」はTBSドラマ「ポニーテールは振り向かない」挿入歌…これだけやっても100位の壁がなぜかブチ破れずの、埋もれに埋もれてしまった実力派歌姫。 |
デビュー曲「あなたのサマーギャル」
テイチク
82年6月25日
そのユニット名からもお察しがつくとおり、キャンディーズのフォロワーとして遅ればせながらのデビュー。なのにデビュー曲の作曲者が都倉俊一氏というちぐはくぶりが露呈。途中からご本家に見習いセンターを桜井(写真中央)→山本(写真右)に変更するも特にコレといった効果があらわれず、最後は「おはスタ」で解散式。3人ともキュートなのにどして売れないの?山本博美チャンは京本政樹夫人、写真左の唐沢美香チャンはつい最近になって芸能界復帰&CD発売…恐れいったワ。 |
デビュー曲「シンデレラ・リバティ」
エピックソニー
81年10月21日
ザ・バーズ出身の美人姉さん。デビュー曲では作詞も手がけるなど、そこらのガキン子アイドルには決してマネのできないキャリアと色香で勝負に出た。ご本家の聖子チャンに負けじとばかり、純度の高い聖子カットがトレードマーク。デビュー曲衣装では若作りのためとおぼしき可愛いカチューシャも頭にのっけての熱唱。実に可愛らしい方でありながらもソロでは鳴かず飛ばずとなり、後にデュエットを薦められロス・インディオスの女性ツインボーカルとして加入。現在はレポーターとして活躍中だが、売れなかったアイドル時代を決して隠さない、誇りに満ちみちあふれたお方なの、ステキよ~ん。 |
デビュー曲「ト・キ・メ・キ SUNSET」
日本フォノグラム
82年(詳細日不明)
ナゾのアイドル第○号に属するお方かと思われ。調査によればヤマハのポプコンで入選、その後に歌手デビューと相成った模様。新潟ご出身とおぼしきお方で、当時はローカルで番組も持たれていたらしい情報もチラリ。ソレ系の掲示板で地元民から「ナツカシイ」が連発されていることから、お膝元ではそこそこのスターさんだったのかと思われ。 |
デビュー曲「蒼い日記」
SMS
82年6月21日
どこだったか、ローカル劇団の雑誌広告で西陽子(「君は黄昏の似合う人」でデビュー|幸運の矢を射止めた少女というのが当時の宣伝文句)とともに盛んにプッシュされていたお方。ソレラ広告は「平凡」などにも掲載され、社のイチオシだった西さんは後に飛鳥あおいに改名、思い切りの若作りをカマしまさかの乙女隊一号のセンターポジションへ。表題曲では歌謡曲風ビジュアルに収まる舞子チャン、しかし2nd「恋人塚」ではアイドル顔に大ヘンシ~ン。その2ndでは関東でもちょこっと話題になったとキオク。SMSのニューユースレコード第一号歌手とのフレコミによるデビューだったが、そのように説明を受けてもあまりピンとこないのが悲しいトコロか。 |
デビュー曲「おもわせ気分のBaby Face」
トリオレコード
82年5月21日
テレビ東京のモノマネ番組から選抜された松田聖子のそっくり娘3人組。当初はセンターを務めた女性を含める2人が従来の聖子ちゃんカット、残りひとりはショートの聖子ちゃんカットだったが、後にセンター以外はショートへ変更。ユニット内でのよくある差別化が断行された模様。中央の女性がメインというのには、自然とクビがタテに動くものか。企画モノゆえ、発売されたレコードは表題曲のみの一枚ポッキリ。しかもトリオレコードは後に倒産。 |
デビュー曲「キドッテProfessional」
RVC
82年7月21日
豊満なボディとド迫力の歌声を武器にデビュー。表題曲の他、アルバム1枚をリリースしながらも鳴かず飛ばず、翌年にはそそくさと演歌へ転向しちまった純姐さん。そういうなりふりまかわぬトコロも魅力のひとつか。歌唱力は極上でしごく本格派のため、演歌転向は満場一致か。なにせ現在も堀内美和として現役続行中なんだから…見直したワよ。 |
デビュー曲「気まぐれONE NIGHT」
徳間音工
82年4月25日
子役のカワイコちゃんが歌手としてもデビューしちゃった~という雰囲気。同じミノルフォン所属、西崎みどりのパターンを踏襲か?にしても1982年デビューにしてこの楽曲…時代を数年さかのぼってしまったかのような70年代型のティピカル歌謡曲といった趣き。1976年放映の子供向けドラマ「円盤戦争バンキッド」で演じた白鳥ほのか役がマニア間で人気とか。現在は鈴木淑恵に改名し、女優業を続行中。 |
デビュー曲「倖せの黄色いティッシュ」
ビクターレコード
82年6月21日
元ゴールデンハーフ・スペシャルの人気者だったトミーがひそか~に再デビュー。70年代末期の遺産が82年にふたたび息を吹き返すとは誰が予想したかしらん?再デビュー曲はゴールデンハーフ時代を彷彿とさせるノリノリのディスコチューンで、エレキのキュッキュがナツカシイ、ベンチャーズ風か?にしてもタイトルに使われた「ティッシュ」とは一体…安っぽさがハンパないのだけんど。あの…ソレってナニに使うモノなの? |
デビュー曲「シルバー・ムーン・スキャンダル」
東芝EMI
82年8月21日
ワイハ出身のハーフモデル。東レのキャンペーンガールを務めたり、テレビ「11PM」のカバーガールもカマしていたというから、おそらくは殿方のまたぐら刺激用アイドルか?この洗練されたお顔にこのダイナマイトボティだもの、業界の男性諸君がほうっておくはずもありませぬ、という成り行きによる歌手デビューといった感じの歌声。かる~くゆる~くサンバのリズムにのせちゃいましたといった風。 |
デビュー曲「未経験」
ビクターレコード
82年3月1日
「スタ誕」でグランドチャンピオンになった実力者。作曲家の都倉俊一氏をドッキリさせ、舌をも巻かせた少女。そこにいるだけでなにかを感じさせるという独特の存在感がウリ。同じビクターのキョンキョンよりも早いデビューで、当初のメインはコチラだった。ビクターでもイチオシとして扱われテレビ用告知スポットも打たれたほどの猛烈プッシュ体制。カンパの紙がぐるぐる回る教室内…衝撃の妊娠中絶ソングは歌詞の過激度からいくと「少女A」の比ではなく、遥か上に君臨する内容。「社会派アイドル」として大きく期待がかかったものの、なぜかしらカラぶった。 |
デビュー曲「愛のかげろう」
CBSソニー
82年9月1日
台湾からの刺客。現地では人気歌手として有名だったらしいナンシー。しかし日本ではそう簡単に事は進まず…シングル3枚でエンドった模様。2ndシングル「旅の続き」はビールのCMソングとして使われた佳曲。アイドルというよりも、ちょいとオトナのお姉さまといった雰囲気でボーカリスト寄り。 |
デビュー曲「恋のキラキラダンス」
クラウン
81年10月25日
クラウンの歌姫、ここに参上!このオトナびた美しい風貌から81年組と誤解され続け、すでに四半世紀が経過…今こそ「イイエ、ワタクシもリッパな花の82年組なのヨ」とノロシを掲げる時来たり!表題のデビュー曲と2nd「夢のメイクLOVE」は当時ブームになっていた欧風ペパーミントポップのカバー作品。どちらも恵子姐さんの躍動感がほどばしる傑作。3rdでは自慢の黒髪をバッサリコンコンしたかと思いきや、4thではまさかの「みちばちマーヤの冒険」(チータ作品カバー)に挑戦するなど一貫性ゼロ。只者ではない気配をムンムンさせた実力派べっぴん姐さん。 |
デビュー曲「恋の家なき子」
センチュリー
82年(詳細日不明)
沈殿組にまさかの大物が紛れ込み。実はこの方、苦節時代の伍代夏子さん。テイチクから引き抜いた演歌の女王、八代亜紀を大黒柱に据えて立ち上げた新レコード会社、センチュリー。ソコの新人歌手&花の82年組としてポップスデビューを飾っていたもの。結果は苦節の文字が表すとおり全くもって芳しくなく、この後は加川有希→中川輝美へと改名するもまたもや撃沈。87年に伍代姓へまたまた改名して再デビュー、ようやくお鉢が回りはじめた模様。今に行き着くまでにちびりちびり…長らくご苦労されたのねぇ。 |
デビュー曲「涙のサンバーン」
RVC
82年(詳細日不明)
デビュー当時20歳、ちょいとおニャン子美奈代風?キュートなルックスのカワイコちゃん。82年組におけるミス・ミステリアス?といった正体不明系。この見た目とこの年齢でのデビューという事実から察するに、おそらくはモデル上がり?アイドルなのかボーカリストなのかハッキリしないコンセプト。どういう需要にあてこんで繰り出されたヒトなのか興味シンシン。「涙のサンバーン」って…そりゃ度が過ぎればナミダ目、ヒリヒリ痛いわナ。 |
デビュー曲「湘南アフタヌーン」
ポリドール
82年4月25日
リンリンランラン?はたまた黒木真由美リターンズ?といったエキゾチックな風貌の、コチラもナゾのカワイコちゃん。テレビは「カックラキン大放送」への出演暦ハケーン、でも見たキオクは一切合切ゴザイマセン。この見た目はどちらかそういうトコロ出のムスメさんだったのか、はたまたコンセプトとして無理やりにやらされていたモノなのか、ナゾは深まるばかり。それなのにデビュー曲は「湘南アフタヌーン」とキたもんだ、これまたポリドールの血迷いか。この風貌で湘南とはなんとも似つかわしくなく…一体どういうコンセプトぉ?いっそのこと赤土の荒野でもお歌いになられた方がシックリきたのかと。 |
デビュー曲「恋するシェリー」
ポリスター
82年1月25日
フォーシーズンズのヒット曲「シェリー」の日本語カバーでデビューした3人組。センターの女性はメガネっこアイドルとして先駆け的存在の、まさしくザ・パイオニアと呼べるような方。なんといってもセイント・フォーより3年も早くにやったのヨ!と、鼻息の荒さが今にも聞こえてきそう。ミニスカ穿いて三者三様の美脚ジマンをカマしたものの、表題曲一枚ポッキリで終焉。3人もいるのにハモリがほとんど成されてないってのもねぇ。ユニゾンをカマすわよユニットの元祖ここに参上!かしらん、ナゾ。 |
デビュー曲「やったねMARIKO!」
キャニオンレコード
82年2月21日
ニッポン放送「電話好きっ娘 ラジオっ娘~男の子にはナイショなの~」における赤裸々トークで話題を呼んだ三人娘。3rdシングル「茅ヶ崎サンライズ」は新田一郎、堀江美都子との競作盤。この曲からユニット名をラジオからモジったLady oh!(レディー・オー)に変更。改名時にはエピックソニーへの移籍予定もあった模様。徐々にテレビへの露出も増えていったものの、次作「あいつBye Bye」がラストとなりシングルは4枚で打ち止め。文字どおりバイバイになってしもうた。 |
デビュー曲「小舟のようにLoving You」
エピックソニー
82年6月21日
デビュー曲は尾崎亜美書下ろしという豪華盤。しかしながらメディアにはまるで出没せずという…ワタクシメのようなマニアですら唄っているお姿を目にしたキオクなしという幻のアイドル。せっかくの良曲でありながらも埋もれまくってしまったのが残念なトコロ。見た目だけの判断だとアイドルというよりはボーカリスト寄り?歌唱力も申し分ない実力派だったというのに、宣伝しないから認識されない=売れるワケもないというスパイラレルにハマりまくってしまった一例か。 |
【番外編|花の82年組になりそこねたワ】
島田あゆ子 日本コロムビアよりデビュー予定だった方。沢村美奈子さんと同じ事務所の後輩にあたるが、例のドラマ降板事件に巻き込まれる形となり、歌手デビューの話はそのまま立ち消えに。あまりに哀しすぎるというかなんというか…かけるお言葉が見当たりませんワ。可愛らしい方だっただけに、82年組としてデビューしていたらイイ線イケていたのでは?ちなみにデビュー曲になるはずだった曲は「ときめきフォーリン・ラブ」。 | |
田口トモ子 日本コロムビアよりデビュー予定だった方。「レッツゴーヤング」のサンデーズとして活躍。それ以前にもNHK大河や「GO!GO!チアガール」など多数のドラマにも出演。歌手デビューはいつ?と期待されていたものだが、81年の時点でもデビュー予定、82年の時点でもデビュー予定…それがいつしか白紙となり、そのまんまフェイドアウト。こんなことってアリ?彼女に一体ナニがあったの?コロムビアって意外と冷たいのネ、音羽ゆりかご会を抱えるレコ会社なのに…ゆりかごもナニもあったものじゃなくってよ、プンプン。 |
さぁ、今回の水面下より下の沈殿組(失礼)における82年組の【まとめ】いかがでしたかしらん?アナタの気になった方はどなた?
運悪くたまたま沈殿組に成り下がったからといって、この方々に魅力がないと判断するのは誤っておりますのヨ。レコードが売れる否かはそれこそ色々な要素が絡みに絡み合い…そして時の運も大きく左右してくるもの。デビュー当時は沈殿組でもベストテン歌手に成り上がった方だっていらっしゃるんだから。それにこうした沈殿曲の中にだって「これは!」と思わせる傑作がズラリンコンと存在するのも事実。だから皆様…上記花の82年組における功労を今回もねぎらおうではありませぬか。水面下組ともども…皆さん誇りを持つのヨ!アナタたちはあの凄まじい時代に、ご自身の名前入りレコード盤をごリッパにも世に送り込んだ方々なのだから。
ってなワケで…次回は中編に引き続く「後編・その1」でお会いいたしまショ。
【まとめ】82年組アイドル・春・色とりどり【永久保存版】の中編はこれにてお開き。
ごぎけんよう、さようなら。ながら